音楽をどのように好きか

ひとり Advent Calendar 24日目、きょうはポエムです。

 

音楽が好きだ。詳しくはないが。

俺はどう音楽が好きなのか、昔から考えていたけど、ここ数年で安定してきた。それは、俺は音楽に憧れ、音楽になりたいということだ。

 

 

音楽は時間の芸術である、というのは誰がいったか知らないが有名な言葉だ。音楽には終りがある。そして音楽は、自分が知っているもののなかで、もっとも幸せに終わることができるものだ。

映画はどうだろう。映画も終わりがある。ハッピーエンドという言葉もよく持ち出される。しかし俺のなかでは音楽とは決定的に違うところがあって、それは映画には人間が登場して、彼ら彼女らの物語は映画が終わってもだいたい続く。続かない場合は死が描かれる。死はどうしたって悲しい。名作映画のなかには死を実に美しく描くものもある。でも俺達は知人の死を通して、死は幸せではなく悲しみであることを知っている。残された者にとっては死は悲しい。

とはいえ映画はそれでいい。映画は、それを見た我々が、そして、どう生きていくかに影響を与えてくれる。だからこその感動がある。黒澤明の「生きる」や大林宣彦の「この空の花」は、死が終わりではないことを教えてくれる。

これは映画に限らず、小説、詩、演劇、すべての物語に通じることだ。

スポーツはどうか。スポーツは、敗者がいる。敗れるのは辛い。自分はスポーツといえば小学校時代にちょっとだけサッカーをやっていたが、勝ったことはほとんどなかった。負けることは本当に不快だった。スポーツはほぼ全ての参加者がどこかで敗北を味わうわけだが、自分にはちょっと耐えられない気がする。本気で打ち込める人は本当に尊敬する。

一方で音楽は、メジャーコードで終わったら、それだけでハッピーエンドだ。実にシンプルである。世界はこんなに複雑なのに、我々は幸せには死ねないのに、ギターがEのコードを鳴らしたら、それは幸せだ。

音楽のシンプルさ、美しさは、終わり方だけではない。我々人間は会話してもわかりあえないのにホルン4本が Es dur を奏でたら、ドラムとベースが16ビートを刻んだら、それで済む。

俺は音楽になりたい、耳できいて、体を揺らして、声を出して、楽器を通じて。

でも決して音楽にはなれない、音楽が終わったら俺は取り残されている、その儚さもまた、人生の楽しみだったりする。